インフルのワクチンが「卵」から離れはじめた — 米国が初のmRNA型を承認、ただし高齢者には条件つき
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インフルのワクチンが「卵」から離れはじめた — 米国が初のmRNA型を承認、ただし高齢者には条件つき

毎年冬になると打つインフルエンザのワクチンは、いまも大量の鶏卵の中でウイルスを増やして作られています。その製造の型に、米国で初めて別のやり方が正式に認められました。
米食品医薬品局(FDA)は2026年8月5日、モデルナのインフルエンザワクチンMFLUSIVA(一般名はInfluenza Vaccine, mRNA、開発コードmRNA-1010)を承認しました。
50歳以上を対象とする、米国初のmRNA型季節性インフルエンザワクチンです。
ただし65歳以上については、条件つきの承認になっています。
承認されたのは何か
まず、承認の中身を正確に押さえます。
製造販売業者はModernaTX, Inc.、生物学的製剤承認申請(BLA)番号は125869/0。
適応はワクチンに含まれるA型およびB型インフルエンザウイルスによる疾患の予防で、対象は50歳以上です。
この承認は、年齢によって性格が違います。
50〜64歳は通常の承認ですが、65歳以上は免疫応答に基づく迅速承認で、この年齢層での承認を続けられるかは確認試験で臨床的な有用性を検証できるかにかかっている——添付文書にはそう明記されています。
根拠となった臨床試験は2本あります。
| 試験 | 対象 | 比較対照 | 結果 |
|---|---|---|---|
| Study 1(NCT06602024) | 50歳以上 | 標準用量の不活化ワクチン(GSKのFluarix Quadrivalent) | 相対有効性26.6% |
| Study 2(NCT05827978) | 65歳以上 | 高用量ワクチン(Fluzone High-Dose) | 免疫応答で優越 |
Study 1では、MFLUSIVA群20,179人のうち発症は411人(2.0%)、標準用量ワクチン群20,124人のうち557人(2.8%)でした。
ここから計算される相対有効性が26.6%(95%信頼区間16.7〜35.4%)です。
年齢層別では50〜64歳が26.1%、65歳以上が27.4%となっています。
報道でよく見かける「従来より約27%高い」という表現は、この65歳以上の27.4%を指しています。
ただし、比べた相手は標準用量のワクチンです。
そして65歳以上の承認の主な根拠になったのは、この数字ではなくStudy 2のほうでした。
Study 2は、高齢者向けに広く使われているサノフィの高用量ワクチンとの比較で、抗体価の比が1.14〜1.34倍、抗体が十分に上がった人の割合の差が5.88〜13.42ポイントと、免疫の反応で上回ることを示しています。
つまり、「標準用量より発症を減らせた」ことと「高用量より免疫の反応が良かった」ことは別の試験の別の結論であり、後者は発症を減らせたかまでは示していません。
65歳以上に条件がついたのは、この違いによるものです。
なぜ「卵」が問題なのか
この承認が製造の型の話だと言えるのは、いま使われている作り方に、避けにくい時間の制約があるからです。

季節性インフルエンザのワクチンは、その年に流行しそうなウイルスの型をあらかじめ決めて作ります。
世界保健機関(WHO)は年に2回、北半球向けを毎年2月ごろ、南半球向けを9月ごろに推奨する株の組み合わせを発表します。
なぜ流行のはるか前に決めるのか。
卵で作る方法では、受精卵を確保し、ウイルスを増やし、精製して充填し、検定を通すまでに数か月単位の時間がかかるからです。
冬の流行に間に合わせるには、春のうちに株を決め、そこから作り始めるしかありません。
問題は、その半年のあいだにウイルスが変わることです。
選んだ株と実際に流行した株がずれると、ワクチンは効きにくくなります。
米疾病対策センター(CDC)が公表している季節ごとのワクチン有効率を並べると、この揺れの大きさが分かります。
| シーズン | ワクチン有効率 |
|---|---|
| 2018-19 | 29% |
| 2019-20 | 39% |
| 2021-22 | 36% |
| 2022-23 | 30% |
| 2023-24 | 44% |
| 2024-25 | 56%(速報) |
| 2025-26 | 36%(速報) |
(2020-21シーズンは流行が小さく、有効率は算出されていません)
同じ手順で、同じように真面目に作っていても、効き方は年によって29%から56%まで振れます。技術が下手なのではなく、半年前に賭けているからです。
mRNAワクチンは、ウイルスそのものを増やすのではなく、ウイルスの表面にあるたんぱく質の設計図を体に届けて、免疫に覚えさせます。
作るのは設計図に相当する分子なので、株が変わったときにやることは、培養のやり直しではなく配列の差し替えです。
新型コロナのワクチンで、変異株に合わせた改良版が短い間隔で出てきたのは、この性質によるものでした。
ここが今回の承認の意味です。
株を決める締め切りを後ろにずらせるなら、流行の予測期間が短くなり、ずれる確率は下がります。
どこまで縮められるかについて、モデルナ自身が具体的な期間を示した一次資料は今回確認できませんでした。
ただ、製造の律速が「卵の中でウイルスを増やす時間」から外れること自体が、この産業では前例のない変化です。
この記事の用語(クリックで展開)
- mRNA(メッセンジャーRNA) — たんぱく質の作り方を書いた設計図にあたる分子。ウイルスの一部を体内で作らせて免疫に覚えさせる仕組みで、ウイルスそのものを培養しなくてよい。
- 相対有効性 — 既存ワクチンと比べて発症をどれだけ減らせたかの割合。ワクチンなしと比べた「有効率」とは別物で、比較相手が変われば数字も変わる。
- 迅速承認(accelerated approval) — 発症をどれだけ防いだかではなく、抗体の上がり方など代わりの指標で先に承認する制度。承認後に臨床的な有用性を確認する試験が求められる。
- 免疫原性 — ワクチンを打った後に、抗体がどれだけ上がったか。発症を防げたかどうかとは別の指標。
- 株のミスマッチ — 事前に選んだウイルスの型と、実際に流行した型がずれること。ワクチンの効きが落ちる主因の一つ。
- 高用量ワクチン — 抗原の量を増やして、免疫の反応が鈍くなりがちな高齢者向けに設計されたワクチン。サノフィのFluzone High-Doseが代表格。
承認は、一度突き返されていた
この承認にたどり着くまでの経緯そのものが、事業として学べる話になっています。
報道によれば、FDAの生物製剤評価研究センターは2026年2月、この申請を受理せず突き返しました。
理由は、比較対照として使ったワクチンが高齢者向けの標準的な選択肢を反映していない、というものでした。
高齢者には高用量やアジュバント入りのワクチンが使われるのに、比較相手が標準用量では、上回ったと言われても意味が薄い——そういう指摘です。
モデルナがこれを公表して反論すると、約2週間後に判断は覆り、審査が再開されます。6月にはFDAの諮問委員会が全会一致で支持し、8月5日の承認に至りました。
この一連の出来事が示しているのは、同じデータでも「何と比べたか」で評価がまるごと変わるということです。
実際、最終的な承認の形も、その論点をなぞっています。
50〜64歳は標準用量との比較試験で通常承認、65歳以上は高用量との比較で迅速承認。
比較対照ごとに、承認の重さが違う形で決着しました。
社内の投資判断や事業計画でも、同じことが起きます。
新しい施策の効果を測るときに、比較の相手を「何もしなかった場合」に置くか「いま実際にやっている最善の方法」に置くかで、出てくる改善幅はまったく違います。
前者で作った資料は通りやすく、後者で作った資料は通りにくい。
今回のように、通した後で比較対照の妥当性を問われると、承認そのものが揺らぎます。
効果を主張する前に比較の相手を決め、その相手が現場の標準になっているかを確かめておく——この順番が守られているかどうかが、後から効いてきます。
承認を受け取った会社の懐事情
もう一つ、この承認を立体的にするのが、受け取った側の財務です。

モデルナが2026年7月31日に発表した4-6月期の決算では、総売上高は1億4,500万ドル(うち製品売上9,400万ドル)でした。
同じ四半期の研究開発費は6億5,100万ドル、販売管理費は2億1,600万ドルです。
売上の4倍以上を研究開発に使っている状態で、1株当たり損失は1.97ドルでした。
手元の現金及び投資は6月30日時点で69億ドル。
ただし7月に9億5,000万ドルの和解金を支払っており、2026年末の現金及び投資の見通しは47〜52億ドルとされています。
通期の研究開発費見通しは約29億ドル、売上原価見通しは約17億ドルへ、いずれも従来より引き下げられました。
費用を削りながら走っている局面です。
この数字の並びを、事業計画の言葉に置き換えるとこうなります。
研究開発という固定費に近い支出が年間29億ドル。
それを支える承認済み製品が、いままで多くありませんでした。
新型コロナのワクチン需要が落ち着いたあと、モデルナの課題は一貫して「製品を増やして、この固定費を割り振る相手を作る」ことでした。
今回のインフルエンザワクチンは、まさにその一つです。
ただし、承認と売上のあいだには距離があります。
季節性インフルエンザのワクチン市場は、市場調査会社の推計で年間およそ95億〜100億ドル規模とされ(推計値は調査会社によって幅があります)、サノフィ、GSK、CSL Seqirusといった既存勢が大きなシェアを占めています。
毎年の接種は病院や薬局の発注、公的な推奨、価格交渉で動く商売で、新しい製品が入り込むには、承認とは別に流通と説得の時間が要ります。
モデルナは2026-27年のシーズンに向けて数週間以内に一部の小売店へ供給を始めるとしていますが、初年度から大きく売れる前提を置くのは早いでしょう。
競合の動きも一様ではありません。
ファイザーとビオンテックは単独のmRNA型インフルエンザワクチンの第3相試験で成果を報じ、規制当局と協議中とされています。
一方サノフィは、次世代のmRNA季節性インフルエンザ候補を初期段階で優先度を下げ、鳥インフルエンザなどのパンデミック対応へ資源を寄せました。
モデルナ自身が持つ新型コロナとインフルエンザの混合ワクチンは、欧州では2026年4月に承認された一方、米国では2025年に申請を自主的に取り下げており、今回の単独インフルエンザワクチンの承認が、その再申請の前提を一つ埋めた形になります。
見立てと監視ポイント
この承認が産業の転換点になるかどうかは、承認そのものではなく、次の3か所で決まります。
- 65歳以上の確認試験: 迅速承認である以上、高齢者での臨床的な有用性を確認する試験の結果が、この年齢層での承認を左右します。インフルエンザワクチンの経済的な中心は高齢者にあるため、ここが崩れると市場性は大きく変わります。
- 株の選定をどこまで後ろにずらせるか: mRNAの本当の価値は有効性の数ポイントではなく、流行の直前まで株を決められる可能性にあります。2027年に向けたシーズンで、選定から出荷までの期間が実際に短くなるかが、卵からの置き換えが起きるかの分岐点です。
- 固定費に対して製品が増える速さ: 通期の研究開発費見通し約29億ドルに対し、四半期売上は1億4,500万ドル。年末の現金及び投資見通しは47〜52億ドルです。承認が売上に変わる速さと、現金が減る速さのどちらが勝つかを、四半期ごとに並べて見るのが実務的な追い方になります。
腹落ち確認の問い
同じ試験データが、2月には「比較の相手が違う」として受理されず、8月には承認されました。
この出来事から、あなたが自分の仕事で新しい施策の効果を示すときに持ち帰れる作法は何でしょうか。
数字の大きさではなく、その数字がどう作られたかを手がかりに考えてみてください。
考え方
効果を示す数字は、必ず「何と比べたか」とセットでしか意味を持ちません。
今回のワクチンは、標準用量のワクチンと比べれば発症を26.6%減らせましたが、高齢者に実際によく使われている高用量のワクチンと比べたときは、発症ではなく抗体の上がり方で優れていることしか示せていません。
だから65歳以上には条件がつきました。
実務でも同じ構造が起きます。
新しい仕組みの効果を「何もしなかった場合」と比べれば、改善幅は大きく見えます。
しかし現場が比べているのは、いま実際に使っている最善のやり方です。
そこと比べて勝てるかを先に確かめておかないと、資料が通った後で「比較の相手が違う」と指摘され、結論ごと差し戻されます。
だから効果測定は、数字を作る前に比較の相手を決め、その相手が現場の標準かを確認するところから始めます。
そのうえで、もし標準と比べた直接の証拠が用意できないなら、代わりの指標で暫定的に進め、後から確認するという段取りを最初から設計に入れる——今回の迅速承認は、まさにその形をとった実例です。
関連リンク
- 一次(FDA製品ページ): MFLUSIVA(U.S. Food and Drug Administration)
- 一次(添付文書): MFLUSIVA Package Insert(FDA)
- 一次(有効率データ): Past Seasonal Flu Vaccine Effectiveness Estimates(CDC)
- 一次(株の推奨): WHO recommendations on the composition of influenza virus vaccines(WHO)
- 二次(決算): Moderna Reports Second Quarter 2026 Financial Results(ワイヤー配信)
- 医薬品の下地: 医薬品業界基礎ガイド
- プレイヤー比較: 医薬品主要プレイヤー比較
- 関連する深掘り(特許切れとポートフォリオ分散): jnj-q2fy26-patent-cliff
- 関連する深掘り(創薬AIは薬ではなく道具を売る): chai-discovery-picks-and-shovels-ai-drug-design
- 関連する深掘り(一度きりの益と実力を分けて読む): novo-nordisk-q2fy26-adjusted-vs-reported
出典(T2契約)
- primary_source: U.S. Food and Drug Administration「MFLUSIVA」製品ページおよび添付文書(承認日2026年8月5日)/U.S. Centers for Disease Control and Prevention「Past Seasonal Flu Vaccine Effectiveness Estimates」/World Health Organization「WHO recommendations on the composition of influenza virus vaccines」
- primary_source_url: https://www.fda.gov/vaccines-blood-biologics/vaccines/mflusiva
- primary_source_checked_at: 2026-08-12
- secondary_source: Moderna「Moderna Reports Second Quarter 2026 Financial Results」(2026年7月31日・ワイヤー配信)/STAT・Pharmacy Times(2026年2月の受理拒否と撤回の経緯)
- secondary_source_url: https://www.cdc.gov/flu-vaccines-work/php/effectiveness-studies/index.html
- source_confidence: High
- factcheck: 商品名MFLUSIVA・一般名Influenza Vaccine, mRNA・承認日2026年8月5日・製造販売業者ModernaTX, Inc.・BLA 125869/0・適応=A型およびB型インフルエンザ疾患の予防・対象50歳以上・65歳以上は免疫応答に基づく迅速承認で確認試験による臨床的有用性の検証が承認継続の条件となりうる旨を、FDA製品ページと添付文書でWebFetch照合(直接取得が404のためJina Reader経由)。Study 1(NCT06602024)=MFLUSIVA群20,179人中411例(2.0%)対標準用量群20,124人中557例(2.8%)・相対有効性26.6%(95%CI 16.7-35.4)・50-64歳26.1%(95%CI 12.3-37.7)・65歳以上27.4%(95%CI 12.1-40.0)・比較対照はGSKのFluarix Quadrivalent、Study 2(NCT05827978)=免疫原性評価セット1,425人対高用量群1,409人・GMT比1.14〜1.34・血清転換率差5.88〜13.42ポイントを添付文書で確認。CDCのワクチン有効率(2018-19=29%/2019-20=39%/2020-21=算出不可/2021-22=36%/2022-23=30%/2023-24=44%/2024-25=56%速報/2025-26=36%速報)はCDC公式ページで確認。WHOの株推奨が年2回(北半球2月・南半球9月)であることはWHO公式ページで確認。モデルナの2026年4-6月期=総売上1億4,500万ドル・製品売上9,400万ドル・研究開発費6億5,100万ドル・販売管理費2億1,600万ドル・1株当たり損失1.97ドル・6月30日時点の現金及び投資69億ドル・7月の和解金9億5,000万ドル・通期R&D見通し約29億ドル・売上原価見通し約17億ドル・年末現金見通し47〜52億ドルは同社決算リリース(ワイヤー配信)でWebFetch確認。反証1パス:(1)報道の『約27%高い』は65歳以上サブグループの27.4%であり全体は26.6%、比較対照は標準用量である点を本文で明示した。(2)65歳以上の承認根拠は高用量ワクチンとの免疫原性優越であって発症抑制ではないため、Study 1とStudy 2の結論を混同しないよう書き分けた。(3)四半期純損失の絶対額は情報源間で8億2,000万ドルと7億8,200万ドルに食い違いがあったため本文では使わず、1株当たり損失1.97ドルと費用側の数値で記述した。(4)mRNAによる製造リードタイム短縮の具体的な期間はモデルナの一次発表で確認できず、本文では定量値を書かずに卵培養側の制約と株選定時期の対比で説明した。(5)市場規模と上位3社のシェアは市場調査会社の推計で幅があるため概数と推計である旨を明示した。(6)2026年2月の受理拒否とその撤回、6月の諮問委員会支持は当事者発表ではなく報道ベースであるため、本文でも報道による経緯として記述した。